68 鹿島さまの欅

68 鹿島さまの欅

 豊鹿島神社の欅は樹令千余年、神社の歴史と同じ位といわれています。
 現在は、中ががらんどうになってしまい、昔の面影は全くありません。明治時代までは、枝が大きく茂り、人家が少なかったので、夜はとてもこわくて、この近くは歩けませんでした。

 明治の中頃、この大木のうろ(空洞)に火のついたお札が投げこまれて、火事になってしまいました。近所の人達が、井戸より水をリレー式で運び、枝の上に乗り、車井戸を使って水をかけ火を消しました。
大正時代に、大きな枝が折れましたが、まだまだ樫は大きく、子供達が十人位で手をつないでまわったり、地上から一メートル位上のこぶにのり、鬼どっこ(鬼ごっこ)などして遊ぶことができました。

 あけ方になると、「ブッ」「ブッ」と不気味な音が聞こえてきました。きっと欅も水がほしくて、地下水を飯んでいたのかもしれません。この不気味な音は大正の末ごろまで毎晩聞こえてきたそうです。

 暗くなると、オッポッポ(ふくろう)が、どこからかとんで来て、枝の上で目を光らせているので、若い娘達はこわくて、外に出る気にはなれませんでした。

 大きな枝が折れて倒れた時、きこりさんが二人がかりで、ギーコ、ギーコと鋸で切ったら、きれいな玉目や竹の子目が現われ、その木目を利用して、たばこ盆や仏壇の下の戸を作った家もありました。

 また、戦争で焼けてしまいましたが、新宿の鳴子天神の拝殿にも使用されたと言われています。
その後、昭和の初めの台風で、また大きな枝が折れて倒れ、近くの建具屋さんの作業所がこわされてしまいました。戦後は、人も車も急に増加したので、欅はすっかりつかれてしまい、今の様に、中ががらがらになってしまいました。
(『東大和のよもやまばなし』p147~148)